花公園の翌日は、湯布院へ行く。
ワインディング道路の山道を超え、まっすぐな高原の道路を車を走らせるのは爽快だ。
ケンタくんも車の運転は好きだというので、途中でドライバーを交替して、ぼくは助手席に座る。
移り変わる風景をやりすごしていると、すばやく時が過ぎていくように錯覚する。そんな時の逃げ足に逆らうように、遠い記憶が駆け足で戻ってくる。
ケンタくんをベビーカーに乗せて押していたのが、つい昨日のことのようでもある。
坂道を下っていて小さな段差に躓いたとき、はずみでケンタくんがベビーカーから飛び出したことがあった。一瞬たいへんなことをしたと血の気が引いたが、小さなケンタくんの体は一回転して、ベビーカーの前の地面にちょこんとすわる形になって落ちていた。本人も何事が起きたのか分からないふうで、泣きだすこともなくて、とりあえず安心したのだった。
そのことは誰にも話したことがない。そんな状況を話すだけで、周りはどんなに心配するかしれないと思ったからだ。
こうして運転しているところをみると、あの時どこも悪いところは打たなかったのだ。
そして青年になった彼は、すでに魚群探知機の世界シェアをもつ会社に就職も決まっている。卒論もまだだというが、いまはもっぱらカーナビで海のような道路を追いかけている。
時がふたたび巻き戻ると、ベビーカーに乗せられているのはぼくで、押しているのは彼になっている。ぼくが飛び出すような運転はしないでほしいが、まだ若葉マークだから安心はできない。だが観光地の駐車場にもバッチリ収めることはできた。
山があり、盆地があり、街がある。
こんもりと尖った山が街を見下ろしている。古事記にも名前が残る由布岳である。いまにも噴煙を吹き上げそうな山容をしている。2千年ほどの昔に噴火したらしく、麓の草原にはいたるところに大きな火山岩がころがっている。
50人以上の登山者が犠牲になった御嶽山の大噴火があったばかりなので、静かな山にも脅威を感じてしまう。マグマを抱えた山のこころはわからないのだ。
その静かな山の麓の街は、お祭りのようににぎわっていた。
スマホをもった若い女性が近寄ってきた。言葉はわからないがスマホの丸いマークを指さしている。シャッターを押すように頼まれていることは分かった。5~6人の仲間がポーズをとっている。
ハイ、チーズ(ハイ、キムチかな)。シャッターが切れる手ごたえがあった。
うまく撮れてるかどうかチェック、オッケー?
スマホの中の自分らを確かめて、彼女もオッケーと応えた。
ここは異国かもしれなかった。10月に現れるハロウィンのお化けのように、ひとときの人々もまた、どこからかやって来てどこかへと帰っていくのだった。