横に居る吉之助を見上げてみれば、案の定、内省的思惟に没頭している。樹下石上の境地は、人をして思索へと誘うようである。かく言う私も、東の空に登る朝日を見つめながら、しばしボーっとしているうちに、やがて、ある言葉が頭の中に浮かんできた。「暑さ寒さも彼岸まで」そう、あと僅かで正真正銘の秋を告げる秋分を迎える。「暑さ寒さも彼岸まで」俗に、よく言われる言葉であるが、その説には、それなりの根拠があるようである 。
彼岸の中日である秋分の日には、昼間と夜の時間の長さが同じになる。つまり、この日を境に着実に夜が長くなっていく。「秋の夜長」とか「秋の日のつるべ落とし」とはよく言ったもので、昼間より夜が長くなるということは、日中、日差しがもたらす熱の量よりも、夜間、放射冷却によって失う熱の量の方が上回ることになる。だから「暑さ寒さも彼岸まで」は、あながち間違いではない 。
ところが、今年はそうも言っていられないような気がする。太陽系が刻む時の流れとは裏腹に、夏の太平洋高気圧が、頑として動かない。頑として動かぬから、二百十日を過ぎても二百廿日を過ぎても、台風は依然として見当はずれを進んでいる。「それはそれで良いではないか」と思いがちであるが、そのお蔭で晴れれば暑い。曇っていても蒸し蒸しする。涼しさを感ずるのは、せいぜい今の時間くらいである。どうも最近、太陽系の時の流れと季節の移ろいがシンクロナイズしていない気がする。
「本当にお彼岸になれば涼しくなるのかなあ」
秋分の日まで、あとほんの僅かとなった日の、猫の独り言である。